先日
京都飴菓子工の会長江口製菓様(明治40年当時は飴屋として創業の江口様に御連絡を店の者に入れて貰ったのですが、秀之助さん(2代目)を良くご存知な方で店の者に2代目さんのお話を聞かせて頂いてた様です。
わたくしは製造中だったので電話が変われなかったので又聞きとなりますが、秀之助さんの話を結構されてたみたいで孫としてじいちゃんの褒められてる所とか聞きたかったなぁ何て思ってみたり。
少しジェラシー
こちらの名前を口頭で説明する時も何時もなら、優秀の秀に生まれるで〜みたいな説明なのですが、聞かれた時に秀生ですと答えたら秀、秀、に??秀之助さんの継いでるの前提で話をしていただいたり、おじいちゃんっ子だった自分としてはテンション上がる出来事でした。
その他本来の用事などを伝えて終了となりましたが
そんな日だったので、おじいの残した御所乃石をGW返上で釜直してくれた2人の友達や、普段から支えてくださってるパートの方々、私が二十歳の頃に病気で肺を片一方取っちゃって、それでもやれる範囲で頑張ってた父やそれを支えてた母親の事、色んな事を考え色々な事が頭を過ぎり、普段より更に凛とした気持ちでおじいの残してくれた屋号にまで上り詰めてる商品を作らせていただきました。
京飴とはなんぞや?とか京都の飴って他のとは何が違う?名前に京がついてる?←これだけじゃ論外だなぁとか。あくまでも私の主観で昔からの京飴屋さんでoffenseとdefenseを上手くやられておられるなってお店は数社さんですかねぇとか偉そうな事考えてみたり。
攻める怖さ守る難しさ、店の寿命が30年周期と言われてる世の中で、今正しく4回目の寿命を迎え、ここはどう動くべきか?と寝ても覚めても考えております。
前にも書いた話ですが更に120年後にも京飴って言ったら京の飴いしざき 御所石本舗やろ!
と言われて愛され続けてるのが願いであり望みである私としては今のこの30年周期は結構気合い入ってます。
変わらぬ物、変えなければならない物、捨てるべき物、生み出すべきの物
課題は山積みですが私は私流に考え平成30年の御所の石本舗を貫いていきたいと思います。
コアを変えずニーズを読み斜め上の発想をひねり出して頑張ります。
そんなこんなを考えて作った御所乃石がこちらです。